臨時 国大協会長への共同質問書、連名者募集中(2月18日正午まで)


「小泉改革」で急進展する大学再編にNO! 講演&討論会

討論のための問題提起2

大学再編と司法改革__批判的検討

萩尾健太弁護士(渋谷共同法律事務所)

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弁護士の萩尾です。いま、学内外との連携という話がありましたけれども、私はこの観点で、私の業界、弁護士会と大学問題との関わり合いについてお話したいと思います。大きく三点、大学問題と私たちの業界を襲っている司法改革の問題に共通する点があると思います。一つは理念的なもの、そして実際上、法科大学院というものがあります。さらに大学改革は法科大学院のもとで、私たち弁護士、あるいは法律家に対してどのような影響を持つのか。この三点について話したいと思います。

第一点の問題ですけれども、司法改革は1997年の7月に司法制度改革審議会というものが内閣のもとに設置されまして、そのあと4年間、司法改革についての議論がなされてきました。そして今年の6月12日に、司法改革最終計画が発表されました。このなかで、中間報告よりは少し短くなっているんですが、中間報告にはもっと明確に書いてあるんですけれども、これによれば、司法制度改革とは「政治改革・行政改革・地方分権推進・規制緩和等の経済構造改革等」の「一連の諸改革の『最後の要』と位置付けられるべきもの」、そして「行政改革に続く『この国のかたち』の再構築の一つの支柱として課題設定された」ものだという訳です。で、今国会でこの司法制度改革審議会の最終決定を受けて、司法制度改革推進法というものが提出され、可決されました。その第1条の「目的」というところでこう書いてあります。「この法律は、国の規制の撤廃または緩和の一層の伸展その他の内外の社会経済情勢の変化にともない、資本の果たすべき役割がより重要になることにかんがみ」、でこの司法審の答申を受けて司法制度改革を推進するものである、というふうに書いてあります。これは、いろんな言葉が並んでいるんですが、司法改革について考えている人にすれば、非常に露骨に本音をハッキリと書いてある訳です。この「政治改革・行政改革・地方分権推進・規制緩和」という一連の、いわゆる新自由主義的な改革のために司法改革するんだということをハッキリと言っている訳です。で、この新自由主義的改革は何なんだということを説明しますと、資本のグローバル化ということが言われています。どんどん多国籍企業化していく、特にアメリカの企業が。それが世界に進出していく、そういう状況のもとで、いまや日本はバブル崩壊以後、企業の力が弱まっていて国際競争力が落ちている。これではいけない、世界のグローバル化の流れに乗って日本の企業も国際展開できるように市場競争力を回復していこう。そのためには、日本の財政赤字が障害になっているので、財政支出をスリム化していこう。また企業に対する規制を撤廃していこう、というのが新自由主義改革です。で、これのための司法改革。

で諸改革の一環であるということなので、当然大学改革とも密接にリンクしていることです。

で、「『この国のかたち』の再構築」というのは、ちょっと新自由主義改革とは別の方向な訳です。『この国のかたち』というのは、司馬遼太郎の言葉なんですが、結局、憲法体制を変更して合法的に戦争のできる国にしていこう、という文脈でよく使われる言葉です。司法制度改革も大学改革と同じ流れのなかにあります。

司法制度改革というのは常に求められてきました。それはどういう観点からいままで求められてきたのかというと、日本というのは裁判官に最高裁から非常に締め付けがあって、最高裁の意向に反する判決なんて書けない、で最高裁の意向というのは行政や企業を勝たせようという判決なもんですから、結局は司法が人権を擁護するといったことは充分できてこなかった訳です。また裁判官の数が少なくて充分な司法機能を果たしてこれなかった。こういう問題の指摘は随分昔から弁護士の側からありました。しかしいまの司法制度改革というのはこういった司法本来の役割、人権擁護とは離れて、ともかく規制緩和、市場競争力の回復のためなんだ、ということを言っています。

これは大学改革と共通してくる面があるんじゃないかと思います。しかし、この大学改革という問題についていままでも触れられてきましたけれども、私の方からも意見を述べたいと思います。80年代からすでに「教育の自由化」ということが臨教審で言われてきました。90年代に入って、やはりバブルが崩壊して日本企業が苦しくなったということもあって、教育の自由化だけでなく、まあ国家に余計な財政負担をさせてはいけないということで、スリム化していく、ということも一つ言われています。それとともにだんだん新自由主義・自由化の流れのなかで、年功序列・終身雇用という企業社会の統合体制が弱まってくるということで、新たな統合作用を作っていかなくちゃいけないという観点から、「日の丸・君が代」などを中心にするようなこともあります。のみならず、憲法9条の体制を変えるという動きも教育改革のなかにあると思います。そういうことでこの大学改革も実はあるんじゃないかと思います。特に重要なのは先端的科学技術力の強化とエリート(高度専門職業人)を育成していくという方向です。文部省が大学審議会に対して諮問をして、浜林先生の講演のなかでも触れられた『21世紀の大学像と今後の改革方策について_競争的環境の中で個性が輝く大学』という、まあ自由競争万能をそのまま表題とする答申を大学審議会が出しました。このなかで、従来の大学改革は産業界・社会の側からの様々な批判・期待に対応できていなかった、産業界の要請に応える改革として高度専門職業人の育成に適した実践的教育を行なう専門的大学院を設置しなければいけない、ということを打ち出してきました。これなんか本当に企業のための大学作りということになってくると思います。ところがそういった大学改革を行なおうとしても、大学というのは昔ながらの体質があって、抵抗されてなかなかうまく進んでこなかった。そこで、こういう大学の改革・個性化のために学長に権限を集中しよう動きが片やありました。一見、自由化とは相矛盾するような流れなんですが、やっぱりそういうことを進めるための動きとして出てきたのではないかと思います。それとともに独立行政法人化。この件については話されてきた通りです。そういったなかで、高度専門職業人育成のための改革として、特に私たちの業界では法科大学院ということが問題になっています。そこにおいて、改革の理念、規制緩和とともに、実際の問題として大学改革と司法改革の問題が交錯する場だと思います。

で、司法改革について、どういう状況で出てきたのかということをちょっと説明しますと、大学審議会が設置されたのと同じ1987年に、とにかく法曹人口を増やさなきゃならないということで協議が始まりました。これなんかも資本のグローバル化のなかで、やっぱりそれまでの日本型のやり方ではなくて、アメリカのようにするということです。産業界からも同じ意見が出されました。それともう一つは事後規制型社会ということです。規制緩和していくと事前の抑制がなくなる訳で、行政による事前規制がなくなります。事故が起きたあとに裁判に訴えてシロクロつけるというような社会にしていく。そのためには司法の機能が強化される訳で、だからもっと法曹人口を増やさなきゃいけないし、事後の規制を強化しなくちゃいけない、ということがあります。あともう一つは弁護士会の規制緩和。これはやはり大学の問題と共通するものがあって、弁護士会では弁護士自治ということが言われています。弁護士というのは在野の立場であって、権力に対してモノを言うのが仕事だ、という意識が強くあったんです。これは彼らの改革にとっては邪魔で、これを何とかしたいという問題意識があって、そのための改革が進められてきたと私は考えています。

その大きなテコになっているのが法科大学院構想な訳ですが、この構想というのは、全国の一定数の大学に法曹養成を目的とする法科大学院をつくり、法学既修者には2年間、この法科大学院で教育を受けさせ、その修了を条件に新司法試験の受験を認めて、法科大学院の卒業者の多くがこの新司法試験を合格できるようにする、というものなんですね。結局、いままで司法試験に受かると司法研修所という裁判所の機関で給料をもらって司法修習を受けて、それから法律家、法曹三者になっていった訳ですが、この法科大学院構想というのが実現されると、必ず法科大学院というところで勉強をしないといけない、ということになります。これがどう問題なのか。法律家の議論のなかでは、司法研修所といっても最高裁に管理されている窮屈なところより、自治の保障された大学で教育を受けた方がいいじゃないか、という議論が結構あったんですけれども。で、まさにそういうふうになってしまうと、困るという観点もあってちょうど大学改革をしようとしているのではないかと思うんです。要するに、いままで紹介されてきたような独立行政法人化、そして構造改革のもとでの大学。そこでは本当に法律家に求められるような、独立した、そして権力に対してモノを言うような法律家を育成できるのかというと、非常に大きな問題があります。

(ここで、次のスケジュールのため浜林先生が退席。拍手)

で結局、大学自体も自治が非常に形骸化されつつあります。そうしたもとで、法科大学院というのは様々な問題が絡んでくる。第三者評価機関というものを設置して、そのもとで様々な文部省の関係者等が入ってきて審議・評価されるという問題点があります。そしてむしろ具体的に問題なのは、先程現代社会研究会の方からも提起があった、学費の高騰の問題です。特にこういう専門的な大学院の場合は、非常に高いものになると考えられています。年間300万くらいになってしまう。で、私たち法律家にとって大事なのは、やっぱりどんな階層からでも法律家になれる、ということなんですね。相手にする人は本当に貧しい人が多い訳なんですよ。破産した人とか、多額の借金を負っている人とか。ところが、そんなに高い学費がかかるような法科大学院を出ないと法律家になれない、ということになってしまうと、もう金持ちの子弟しかそういうところに入れない。それはどんな問題をもたらすか。金持ちか、さもなければアメリカの例でいえばロースクールを卒業すると1000万とも言われる多額の借金を背負って社会に出る。だからロースクールの学生はいろいろな弁護活動をしたい人がいっぱいいる訳ですが、卒業した段階ではもう多額な借金を背負って、これを返すのに汲々としていますので、金儲けの仕事以外はできないという人ばかりになってくる訳です。日本においてもそういうふうに、法科大学院、学費、独立行政法人化の問題というのは無視して通れないと考えています。第三者評価機関などで監視され、人権の擁護を担う弁護士自体が変質し、弁護士会も変質する。そういう大きな危険がこの問題にはある、と考えています。

で、最初の問題提起に戻れば、様々な、大学を通過する人にとってもこの大学の問題というのは重大な問題な訳です。そういったところと連携してこの問題に取り組んでいけたらというふうに思っています。以上で私の問題提起を終わります。(拍手)