以下の記事の批判です.なお,この意見をベースにした筆者のコメントが同紙7月8日付紙面に掲載されました

[he-forum 4125] 毎日新聞06/18
『毎日新聞』2002年6月18日付
新教育の森 第四部 競争再考 大学大変 2
「改革派」学長に教員反発/将来像には関心低く


 この文章は,「改革」を進める大学首脳部と文部科学省,これに「教授会自治」を盾に既得権を守ることしか考えない「抵抗勢力」,そしてその抵抗の手段になっている「民主主義」,このような図式にもとづいた文章になっている.この図式はまさしく文部科学省系の審議会の諸答申が描く図式である.しかし実態は本当にそうだろうか.その「改革」というものは本物なのか,そして「抵抗勢力」と言えるほどの抵抗が教授会に見られるのだろうか.記者らはどの程度大学の,そして教職員の実態を調査したのだろうか.

 教室や講座など身近な集団の利益を守ろうとする態度,あるいはそれを至上のものであるかのように振る舞う習性はそれほど衰えていないかも知れない.しかしそのような傾向や勢力と「改革」との衝突が今日の大学をめぐる主要な問題なのかどうかということである.小さな集団のそれではなく,大学社会の共通の利益,あるいは価値観の擁護という点では,むしろ「抵抗勢力」はほとんどその見る影もないというのが現状ではないか.

 すなわち,「独法化」に実際はほとんどの教職員は反対しているのだが,反対決議をあげた教授会はわずかでしかないことから分かるように,全体的な問題に関しては実際は脅しとあきらめが支配しているのである.あるいは,独法化を正当化することで,これに抵抗できないことによる心理的ダメージを回避しようとする傾向もある.新潟大学の学長選に表れた,教授会の人事権剥奪に対する抵抗は,むしろ健全な「ホメオスタシス」の作動として評価すべきものであろう.しかし「毎日」はこれを「守旧派」として文部科学省の尻馬に乗って,というよりそれに成り代わって責め立てているのである.

 この記事はまた,岩手大での学長選挙について「法人化への準備作業を担う学長選ぶ重要な選挙」という表現で,「法人化」すなわち独法化を当然のこと,「準備」に着手すべき規定方針であるかのように扱っている.しかし独法化のための法案は国会で議論もされていない.それどころかまだ法案もない段階である.このような国会無視の,言い換えると法律無視の行動に公務員が勤務時間を使うこと*,そしておそらくこれに公金を支出するであろうこと**を疑問にも思わない著者の態度は,この国の法制度の基本を理解しているとも思えない.

 独法化とは一体何なのか,本当に大学の「独立」を助けるものなのか,それとも教育基本法10条に触れるものなのか,もっときちんと分析して記事を書いてもらいたいものだ.ただ時の権力者の意向に沿い,時流に乗った記事を書くというのではジャーナリストとも,プロフェッショナルとも言えない.他の職業,たとえば大学教員のことをとやかく言う資格もおそらくないだろう.ただ,この筆者らが政府の広報担当を自認するというのならこの限りではないが.



* 職務専念義務違反
** 公金の不正流用