Date: Mon, 4 Mar 2002 15:39:22 +0900
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[he-forum 3533] 教授会での議論を

佐賀大学/全国ネットの豊島です.

大学の教員が大勢集まって会議をするというのは,もしお金に換算すれば1分あた
りいくらになるのでしょうか.そのような教授会という貴重な時間に対しては,重
要な問題には最大限に頭を働かせる義務があると思われます.

現在の全国立大学にとっての,あるいは広くは高等教育にとっての重要問題は国大
協による独法化の容認です.これに対してすべての教授会は疑問を呈する義務があ
るのではないでしょうか.

なぜなら,文部科学省の調査検討会議がまとめようとしている「国立大学法人」案
は,国大協が強く反対した通則法による独法化と本質的に変わらないだけでなく,
また非公務員化が前面に出てきたことで有馬文部大臣が独法化容認の前提としたこ
とも崩れています(注).このまま大学側が何らの態度表明もしなければ,この案が
大学と合意されたものとして扱われていく可能性が大です.仮にこの案を認めると
しても,それは今までの国大協の合意に反しているので,全ての大学関係者による
議論が前提とされなければなりません.

私は明日の教授会に次のような決議を提案するつもりです.これは,独法化反対の
決議に比べれば格段に敷居は低いはずです.

国大協会長に次のことを求める.
(1)調査検討会議の結論について審議する臨時総会の開催
(2)調査検討会議メンバーの一時引き上げ

「採択の見込みはないから無駄」という考え方はよくないと思います.議題とする
こと自体が責任です.また否決したならば否決したという責任をメンバー一人一人
が自覚することになりますから,その効果が今後のために重要だと思います.個人
個人が責任を取ろうとせず,つまり重要案件に対しても採決を取らず,見せかけの
全会一致に隠れるというのはアカウンタビリティーとも民主主義とも無縁です.組
合の集会などでいくら批判者ぶりを見せても,肝心の教授会で沈黙するのでは偽善
となる恐れがあります
(青の部分はウェブ掲載時の修正)*.

(注)週間『エコノミスト』'99.11.30 (p.72-73)
http://fcs.math.sci.hokudai.ac.jp/dgh/99b23-arima.html



*[修正前の文]
組合の集会などでいくら批判者ぶりを見せても,肝心の教授会で沈黙するのでは偽善
以外の何ものでもありません
*.

この表現はそれぞれの人の置かれた状況を無視した乱暴なものという批判は当然かも知れません.しかし,十分発言しうる状況にあるにもかかわらず「自粛」しているというような,この表現がぴったり当てはまる人も大勢いるのではないでしょうか.批判の表現は,強すぎると不要な分断の原因になるでしょうが,過度の抑制は運動のブレーキにもなると思います.これまで後者の作用が大きすぎたのではないでしょうか.