国大協総会「決定」の放置は許されない

国立大学独法化阻止全国ネットワーク

事務局長 豊島耕一

6月12日と13日に開かれた国立大学総会では,国大協の「設置形態検討特別委員会」による国立大学の法人化案が審議された.報道によると,「おおむね了承したという」とあいまいな表現ながらこれを「了承」したもようである(1).もしこれが事実であれば重大である.それは,これまで反対するとしてきた「通則法」と変わらない案を国大協みずからが提案することになるからであり,自分自身が大学の破壊者になることを宣言することになるからである.しかも,多くの大学関係者が文書で示した疑問や意見(2)を全く検討することなく無視して行われたという点でも容認し難い.

この決定は,国立大学教職員の傍聴要求を全く受け容れず(3),2日目に至っては,本会世話人を含む4名の国立大学教員の建物への立ち入りさえも,内外に配置した警察官によって阻止し,会長だけでなくすべての総会参加者との接触をも許さないという,異常な厳戒態勢の中で行われた.このような国大協の態度は,いわゆる「透明性・公開性」に背を向けた不透明で密室的な総会運営と言わなければならない.

この法人化案に対して「これでは通則法そのままの適用と言わざるを得ない」と批判し,長尾委員長に再検討を要求した九州地区の学長の方々が,総会でどのような態度を取ったのかという疑問が残る.「おおむね了承」に同調することは論理的にあり得ないからである.多数決で破れたのであろうか.九州地区の学長の方々はその経緯を詳細に明らかにする責任があろう.傍聴を認めなかったのであるからなおさらである.

九州地区の学長に限らず,すべての学長にこの「決定」に対する責任が生じる.責任の重さは同じであろうが,この問題の認識の度合いに応じて,それぞれのメンバーが負う責任には「個性」があり,一様なものではない.きちんと反対の意思を表明し,「了承」に対して少なくとも抵抗したかどうかが問われる.「仮に反対しても無理」というのは理由にならないし,「自分の大学の立場」も責めを免れさせるものではない.なぜならこの問題は「学問の自由」そのものに対する学者としての忠誠が,そして教育に携わる者としての教育基本法,憲法への忠誠が問われているからである.この「決定」とその報道とを放置し続けるとすればさらに罪が重なり,学者としての良心の痛みを持ち続けたまま生活しなければならない.

国大協総会のこのような態様の背景には,この問題に対する国立大学教職員の全般的に不適切な態度がある.国会に法案さえ出されていないのに「もう決まったこと」といったあきらめ,問題の重大さに比べての関心の低さがそれである.良心の痛みはこの問題に全く無知な人,あるいはこれを妥当なことと信じる人を除いてすべての当事者で共有される.それを取り除く唯一の方法はこれからの活動である.私たち阻止ネットも連帯を国内外に広げ,広報活動,署名活動など運動を加速させていきたい.

一方,今やキャッチフレーズを並べることが最大の仕事になったかに見える文部科学省は,「構造改革プラン」なるパンフレットで「民営化」を含む大学間競争路線を打ち出した.これに対して「もはや独法化などを議論している場合ではない」などと,一種の「ショック症状」を示す人も見られるが,しかし独法化が撤回されたわけではないということを忘れてはいけない.むしろこれは独法化の本質を解説・明示したものと言うべきであろう.すなわち文部科学省の新政策への批判・対抗活動と同時に,これが独法化問題での思考停止を生じさせないための注意が必要である.また,この新政策は「国公私立を問わず」すべての大学に”政府主催の大学レース”への参加を強制するので,「国公私立を問わず」すべての大学人が連帯する基盤も生まれたと言える.

最後にメディアの報道姿勢の問題を指摘したい.まず,今回の総会に関する報道では,相対的に権威・権力を持つ側の発表のみを伝え,これに対する批判や反対運動についてはほとんど報道しないという,非常に偏った態度が見られた.これではメディアの本来の機能を果たしているとは言えず,権威筋の「広報担当」,大本営発表の伝達機関になってしまう.また用語の問題でも,大学に関する報道で「横並びの護送船団方式」という表現(4)がされているが,これは教育と企業・経済活動とを区別しない,およそ無神経な言葉遣いである.いずれの問題でも今後メディアに携わる方々の見識に期待したい.

2001年6月15日


(注)

1)報道によると「法人化への具体案をほぼ了承した」,「一部の項目に異論は残っているものの、特別委員会で1年間検討した具体的枠組み案をおおむね了承したという。」(朝日新聞,6月14日)とあり,あいまいな表現ながら「了承」したとされる.

2)阻止ネットは1633筆の独法化反対の署名を会議直前に提出,また国立大学教職員有志92名の共同質問書を事前に提出していた.また千葉大学理学部長の意見書など,この他にも教職員,学生から多くの文書が提出されている.

3)長尾会長からの回答によると,傍聴拒否の理由は,(1)会則にない,(2)学長が報告することになっている,というものである.前者は傍聴を禁止もしていないということであり,また後者は全く理由になっていない.あらためて冒頭で総会に諮るようファクスで長尾会長に求めたが,長尾氏はこれを無視した.当日,会議室入り口でも直接本人に願い出たが拒否された.

4)前出の朝日新聞の同じ記事に「横並びの護送船団方式を脱して」という表現が見られるが,「護送船団」という表現は,本来市場に任せる範囲とされる経済活動にまで政府が過度に介入する官業癒着というべき状態があり,これを批判する言葉として,石油業界や銀行業に対して用いられたものである.これを教育の分野で使うということがどのような意味を持つかを理解しているのか疑問である.つまりこの言葉の使用は,「教育も市場にまかせるのが当然」というメッセージを暗黙に挿入することになるのである.