独法化阻止全国ネットワーク解散に際しての覚え書き

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                          2004年8月25日

          世話人会一同

          事務局長 豊島耕一(佐賀大学)
          世話人  白井浩子(岡山大学) 辻下徹(立命館大学)
               長野八久(大阪大学) 野田隆三郎(元岡山大学)
               橋本修輔(宮崎大学) 浜本伸治(富山大学)

    目次

    1.まえがき
    2.本文
        「茶色の春」をむかえた国立大学
          --- 全国ネット解散に際しての覚え書き ---

    3.豊島の個別的補足意見:学生の権利侵害事件への無関心の問題
    4.白井の個別的補足意見:全国ネットワーク、解散に際して

1.まえがき

 国立大学の独立行政法人化が実施されてすでに4ヶ月が経ち,その様々な弊害がすでに当事者の多くによって実感されつつあります.これまでの10年も,国立大学関係者は「改革」と称しての会議と書類の量産作業に悩まされましたが,今それに輪をかけたような状態が出現しています.予算の削減と相まって,国立大学の教育と研究の機能の低下が懸念されます.

 独法化阻止全国ネットは,2001年5月の結成以来,様々の活動で独法化を阻止し,改革の名に値する新しい大学のありかたを訴えてきました.法律の成立に際しては,声明「『法を守る』とは何かが問われている」を発表し,また昨年9月にはシンポジウムを主催し,運動の総括をしました.その後事態の推移を見守って来ましたが,この会の役割はすでに終わっているので,8月末を期して解散することに致しました.国立大学の今後のために,また皆さんのこれからの活動の参考にしていただくことを期待して,解散にあたっての覚え書きを発表します.

 全国ネットに賛同し,共に活動していただいた多くの皆様にあらためて感謝を申し上げます.また,同じ目的のために活動され,意見を表明された多くの方々に,連帯と敬意の気持ちをお伝えしたいと思います.

 本会代表として重要な役割を果たされ,昨年2月1日に病気のため亡くなられた山住正己氏に対し,あらためて深い感謝と尊敬の気持ちを表明したいと思います.氏には,病床にあってもユネスコ事務局長、世界科学者連盟事務局長への手紙や、政党への協力依頼の手紙などに、病をおして署名していただきました.それはその後の運動の発展の大きな礎となりました.

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2.本文

「茶色の春」をむかえた国立大学

--- 全国ネット解散に際しての覚え書き ---

I 独法化とは何だったか

 独法化が実施された4月以降,また各大学の「中期目標」が決められた際に,新聞各紙は社説でこれに言及した.しかし,法律の成立前に多くの新聞が懸念した問題点にはほとんど触れておらず,もっぱら「前向き」な評価となっている.これは権力や一時的な風潮にきわめて迎合的な態度といわざるを得ない.当事者は施行された制度の中でも最大限の努力をしなければならないのは当然のことであるが,これと制度の評価とは独立の問題である.実施に移されたから悪いものが良いものに変わると言うことはない.新聞が実態を多少とも知りながらこのような態度を取るのは,現実から目を逸らすだけでなく自らを欺くものであり,この制度の害悪を増大させこそすれ,大学のありかたの改善に役立つものではない.

 独法化が何であったかは次の3つに要約できるであろう.

(1)政府が大学に命令する制度の創設であり,したがって大学自治を根本的に否定する違憲の制度.

(2)財政支援の縮小と高等教育費の一層の「受益者負担」化.

(3)競争主義,身分の不安定化による研究者の分断化と権力支配.

そして,この背景をなす2つのイデオロギーとして,国家主義と新自由主義(新放任主義と呼ぶべきか)が挙げられるだろう.

 辺見庸氏は,憲法の諸原則が失われていく現実を「自明性の崩壊」という言葉で表現したが,この言葉を借りれば、大学の自治という自明性が崩壊したのである.

II 制度の実施前後にあらわれたその本質

 法律上「文部科学大臣が定める」とされた中期目標であるが,その原案作成が各大学にいわば「下請け」に出されたことで,あたかもこれが自主的にかかげた目標であるかのように,各大学は自らを欺いている.しかしこれが欺瞞であることはその作成過程からも明らかになった.すなわち,国大協ですら否定していた目標の数値化(註1)が,文部科学省の評価委員会の事前介入によって簡単に実現された.

 これははっきりと表面に出た事件であったが,他にもその内容に文科省の非公式な,あるいは暗黙の「指導」が作用したであろうことは十分に推測される.すなわち,文部科学大臣に課された「あらかじめ、国立大学法人等の意見を聴き、当該意見に配慮する」義務の代わりに,逆に大学が「あらかじめ、文科省の意見を聴き、当該意見に配慮」したと思われる。(ただし文科省が直接大学に意見したとは限らない.それなしで大学が「自主的に」役所の意を汲み取るという習性はこれまでに十二分に培われている.)多くの大学の中期目標に見られる、学長の権限拡大や産学共同偏重など、文科省に気に入られそうな項目のオンパレードはその結果であろう. また,少なくない大学の就業規則に,明治初期の「集会条例」と見まがうほどの言論・集会規制の条項が盛り込まれている.また,「学内COE」などの学内予算配分での迂回制度,中期計画に関連しての「アクションプラン」など,いたずらに書類を増産する体制がまたまた拡大された.

 独法化の影響は国立大学の内部には止まらない.東京都立大学や横浜市立大学に対する石原知事や中田市長による,大学に対する破壊活動と言うほかないような動きは,国立大学が独法化でねじ伏せられてしまったことと無関係ではないだろう.

III 副産物,積極的な動きなど

 あたかも戦争が部分的に技術の発達をもたらすかのように,独法化にも結果的にメリットとなるものは存在する.各大学の組合は完全に労働組合としての地位を獲得し,世間並みに労働基本権を手に入れた.同時に実施された教職員の非公務員化は,身分の不安定化と,教育公務員特例法という法的基盤を失った大学の人事権が徐々に損われていく危険性とをもたらしたが,それと同時に,政治活動などを不当に制限した人事院規則14−7(註2)からの自由をも意味する.この他にも文科省の支配や干渉から(名目上)自由になった部分もあるだろう.このメリットは最大限に生かされなければならないが,「集会条例」が容認されたような事態を考えれば,大学人みずからが「自粛」してしまう危険は十分に考えられる.すなわちこれらを生かすか殺すかは,自覚ある人々の勇気と努力とにかかっている.

 今年3月には「大学評価学会」が設立されたが,これには,独法化阻止運動を取り組んだ人々も発起人として名を連ねている.「官」による大学評価,すなわち文科省に置かれる「評価委員会」を相対化し,改革の名に値する大学の変化を促進する「ものさし」としての発展が期待される.

IV 運動の簡単なまとめと教訓

 国立大学の独法化に対する反対運動は,近年にない規模と深さとを示したが,それ故にさまざまの教訓を残しているように思われる.

1)多様な団体,有志による運動の展開

 積極的な面では,首都圏ネット(独立行政法人反対首都圏ネットワーク)をはじめとして,本会,大学改革を考えるアピールの会,意見広告の会など,既存の組織だけに頼らない様々な運動が行われ,大きな力を発揮したことが挙げられる.これは,本来主力部隊として阻止運動を担うべきであった国立大学を中心とした組合の全国組織「全大教」( 全国大学高専教職員組合)が,その機能を果たさなかったことの裏返しでもある.任期制反対運動のころまでは,全大教は最大限の努力をしているはずという,何となしの思い込みが広くあったが,今回はこの組織の限界が多くの活動家から見抜かれていたように思われる.

 首都圏ネットは,法案成立後に「新首都圏ネット」(国立大学法人法反対首都圏ネットワーク)に改組し,現在も活発に活動している.

2)組合全国組織の不機能

 全大教がその言葉とは裏腹に早くから独法化阻止を諦めていた事実はいくつもの文書などから明かであろうが,もっとも明白にそれが示されたのは02年9月の教研集会であろう.執行部が提出した基調報告レジュメには,独法化問題の最終盤にもかかわらず阻止・反対闘争の戦略,戦術はほとんど一言も書かれていなかった.それに引き替え一種の「自己批判」部分(3章の3)が挿入され,現在の大学にいかに多くの問題があるかが長々しく説教されている.

 しかし当時はそのようなことを強調して「反省」している場合ではなく,降りかかる火の粉を払うのが何よりの優先事項であったはずだ.これは文章の重点の置き方の問題を超えて,全大教の独法化への姿勢そのものが反映したものであろう.

 また,その2ヶ月後02年11月13日付けの国大協への要望書「国立大学協会第111回定期総会にあたって」は,「より高い自律性を有する法人制度と教職員の身分保障、待遇改善・地位確立を追求する」という表現で「法人化」自体をアジェンダとして承認し,「運営費交付金」に条件をつけるなど,「法人化」,すなわち独法化を前提とした文章になっている.

 これらは単に執行部の姿勢だけによるというよりは,単組や一般組合員のあきらめムードと無力感の反映という要素が強いだろう.つまり構成員のムードが「民主的」に反映したものとも言える.しかし全国組織の頂点というものはメディアや組織内情報伝達,それにシンボル機能において強い力を持っているのである.もし執行部が独法化に対して正確な認識を持っていたなら,かりに一般にあきらめムードがあったとしてもこれをいくらかでも変える力はあったはずであるし,またそれが中央指導部の役割でもある.したがって何れにせよ執行部の責任は免れない.

 またこのころは,国会無視の「中期目標」作文作業への加担が組合ぐるみで行われた時期とも重なる.

 当時はほとんどだれも口にしなかったが,この問題は労働組合としては当然ストライキで闘うに価するものであっただろう.さもなければ,相当の金額の「闘争資金」(註3)を蓄えてきた意味がない.組合員全体の「非公務員化」という雇用条件の大規模な不利益化だけを取ってみても,ストに値する課題であったと思われる.このような戦術を取ればメディアや一部の世論からは激しいバッシングを受けたであろうが,バッシングを受けると言うこと自体メディアに取り上げられることを意味する.つまりこの問題を社会的な争点に浮かび上がらせることはできたと思われる.

3)問題の憲法的な重要性に対する認識不足と遅れ.「新自由主義」批判への偏り

 独法化に対する批判の多くは,研究活動が妨げられる,あるいは「新自由主義改革」であるとの観点からがほとんどであった.これらは当然かつ重要な論点ではあるが,しかしこれの憲法的な問題性に触れたもの,つまり「学問の自由」を侵すものである,あるいは教育基本法10条違反である,といった批判が本格的かつ広く行われるようになったのは,わずかに最後の数ヶ月であった.「新自由主義改革」であってもそれがただちに憲法問題につながるわけではないので,幅広い世論を結集させるせっかくの可能性を無駄にしたと思われる.逆に,国会審議に入って以降は「新自由主義改革」の側面があまり議論されなかった.

4)マスメディア利用の重要性の認識,「自主報道」という考えの創出

 最終盤になって,新聞全国紙への意見広告が「意見広告の会」という有志集団によって4回にわたって実施された.最後の二回に関しては,単なる意見広告ではなく,メディアが報じないために有志が紙面を買い取って報道するという考え,すなわち「自主報道」という考えが創出され,これにもとずいて実施された.実際に世論や国会審議に与えたインパクトという点では,集会,署名など他の様々な活動に比べて格段に大きいものがあったと思われる.それまで独法化問題の認識は,大学関係者やその周辺の人々などごく少数の人に限られていたが,この活動によってこれにいろいろと問題があるということが相当幅広い人々に理解されるようになった. 意見広告の参加者はメディアの持つ力の大きさを改めて認識した.

 前半の二回の広告は,醵金者の名前で紙面の大半を埋めるという,いわば旧態依然のスタイルだったが,上に述べたように後半では内容が質的に進化したという点でも,特筆すべき経験であったと思われる.この活動についてのより立ち入った総括は,「意見広告の会」でまとめられることを期待する.

5)多分野の人々との連携,国際的な連携の重要性

 全国ネットは,そもそも結成の当初から,大学関係者だけでなく幅広い市民の運動によって,また政治的党派を超えた連携によって独法化を阻止することを目的としていた.運動の最終盤になってこれがかなり実質的なものになっていった.

 法案が初めて審議される衆議院本会議の開会ベルと同時に開かれた,本会主催の国会内討論集会では,民主党から内藤正光氏,共産党から石井郁子氏と児玉健次氏,日教組から荘司英夫氏がそれぞれ参加,発言された.自由党の西岡議員の秘書の方も参加された.

 国会審議も進んだ最終盤の段階で,上記の「意見広告」を媒介としながら,一般市民の方々の運動への参加も見られるようになってきた.

 韓国の教授組合との連携も実現した.事務局長の02年の訪問によるつながりを生かし,03年6月10日にソウルで,独法化反対と大学自治擁護の日韓の協力を謳った共同声明を発表した.当時,韓国国民の関心はむしろ,成立したばかりの「有事法」にあったが,その日に現地のテレビがこの記者会見を放映した.われわれの期待はむしろ日本側の報道によってすこしでもこの問題が一般国民に知られるようにすることであったが,残念ながら国内では報道されなかった.

 本会は,法案を英訳することで海外の同僚や諸機関にこの問題の最も基本的な一次情報を提供した.結成当初からの訴えと,この法案英訳を元に訴えた結果,13名の海外の同僚の賛同を得ることができた.その中には著名なMITのノーム・チョムスキー教授が含まれる.氏のメッセージは最後の新聞意見広告に掲載された.

 ユネスコへの働きかけは,結局何らの応答も引き出すことが出来ず失敗に終わった.しかしユネスコ関連団体である世界科連の議長から支援のメッセージが寄せられた.

 一般市民も含む5,054筆の衆・参院議長宛の独法化反対署名は,衆院への提出の時期を逸したため,5月17日に参議院の西岡武夫氏(自由党,元文部大臣),福島瑞穂氏(社民党),畑野君枝氏(共産党)の3名の議員に分割して託した.

6)改革からの逃避としての消極的容認

 上の項目2で,組合の態度の背景に一般組合員,教員の間に広くあきらめムードと無力感が存在したと述べたが,この原因や要因について分析しておくことは有用であろう.このあきらめムードは,教養解体以来の絶え間ない「改革」が常に文部省・文部科学省主導で行われ,大学教員の間に「慣れ」,つまり変化とはそういうものだという刷り込みとも言えるほどの心理状況が出来ており,それによって醸成されたとも考えられる.しかし独法化とはそれにしても余りにも劇的な変化であったはずだ.

 国立大学だけでなく,わが国の大学がさまざまな問題点を持っていることは多くの人に指摘され,また当事者自身が多かれ少なかれ自覚してもいる.しかし欠陥というのはどの組織にも,またどの業界にもあることである.ところが今回は,牛は死んでもいいから角を矯めてしまおうというところまで行ってしまった.にもかかわらず大学はなぜ傍観してしまったのだろうか.

 推測するに,大学関係者の中に,みずからが改革(手垢のついた言葉だが代わりがない)を担うことからの逃避として従順を選ぶという心理が少なからずあったのではないだろうか.もし運動によって独法化が阻止されれば,それではさて現状でいいのかという問いかけが大学に対してなされるであろう.大学人はこれにresponseしなけらばならない,すなわちそこにresponssibility=責任が必然的,本格的に生じるのである.他方独法化が通ってしまえば,うまくいかなければ「押しつけられたもの」として責任の大半を政府に負わせ,自らの責任を免れ,または軽減することができるのである.

V 今後の課題

 本会は解散するので,以下は大学関係者への,あるいは本会メンバー個人へのお願いである.もちろん世話人であった私たちは,これからは一個人としてこれらを誠実に実行して行きたいと思う.

 中・長期的に独法化制度の廃止と大学自治の回復が目指されるべきだが,大学関係者には日常的には独法化の害悪を少しでも減らす努力をお願いしたい.すなわち,

1)自治破壊,権利剥奪を許さないこと

2)具体的な課題ごとに大学運営,教育,研究の改善・改革の努力

3)名目的な自由,独立を実質化し,生かすこと.特に,政治的自由を生かして重要な「社会貢献」をすること

などが重要ではないだろうか.また,「中期目標」制度を中心に独法化の違憲性を問う運動が始められなければならない.多くの個人や団体が,独法化は違憲である,教基法違反であると述べていた.これらの人々には言行一致の実践が求められる.さらに,大学の固有の課題と,教基法改悪阻止,護憲運動との接続と発展が望まれる.

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註1)「国立大学法人制度運用等に関する要請事項等(検討案)」(03年5月6日付け)のIII-4の第一項目に「大学の特性を踏まえ数値目標など詳細な内容指示の排除」とある.
 http://www.shutoken-net.jp/030508kokudaikyohaifu.html

註2)人事院規則14−7は次を参照.
 http://pegasus.phys.saga-u.ac.jp/UniversityIssues/kisoku14-7a.htm

註3)労働組合は,ストなどの大きな争議に備えて資金を蓄えておくのが常である.公務員の場合は,ストでは当局による処分が予想されるため,主に被処分者の不利益を補償する目的が想定されていた.

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3.豊島の個別的補足意見

以下は,第IV章の一部(第七節)として準備された文章ですが,本文に盛り込むことの合意が世話人会では得られなかったため,豊島の個人的意見としてここに添付いたします.

学生の権利侵害事件への無関心の問題

 独法化の動きと並行して,学生の自治活動に対する抑圧も進んでいた.ずっと以前から続いていた,自治型の学生寮廃止の動きは,東大駒場寮,山形大学寮,そして東北大学有朋寮の廃寮問題として浮上していた.これに対する反対運動が寮生,学生によって起こっていたが,これに関連して山形大学では,大学が学生を刑事告発するという事態が起きた.また東北大学では,学生の支援に来ていた一市民を,「職員を突き飛ばしてケガをさせた」として大学が刑事告発している.

 山形大のケースでは学生はすでに釈放・不起訴になっており,東北大もフレームアップの疑いが濃い.学生側というよりむしろ大学側に重大な疑惑がある事件であるにもかかわらず,教職員も教職員の団体もほとんどこれに関心を示していない.しかしこの問題は独法化の動きと無関係ではないかも知れないし,大学の自治に対する攻撃としてはむしろ一体のものであるかも知れない.何よりも,学生や市民の重大な権利侵害が疑われる事態に対しては,教職員には少なくとも慎重な対応が求められるはずである.「慎重な対応」とは決して無視や無関心ではなく,「推定無罪」が厳格に守られているかどうかについて関心を持つことである.

  山形大学では,大学が職員を使って寮から学生のノートなどを盗み出すという事件が発覚したが,大学は,学生がこの職員を監禁したとして,窃盗の被害者である学生を逆に刑事告発し,学生4名が逮捕拘留され,22日もの長期間にわたって連日取り調べを受けた.逮捕されたのは2000年4月25日で,釈放後,不当逮捕に対して学生が国家賠償を求めて提訴したのが同年の11月28日である.また東北大学の「傷害事件」とされたのは 20003年3月28日の有朋寮での事態,大学の告発によって一市民が逮捕されたのが6月2日である.後者はまさに独法化法案の国会審議と重なっている.山形大生による国家賠償裁判は現在も続いており,東北大学有朋寮のケースは一審で有罪となり,被告が控訴している.

 教職員がもしこれらの事件を学生の権利にかかわる問題として取り上げ,真実を究明する努力を行っていれば,文部科学省による大学自治破壊がより多面的に明らかにされたかも知れない.

 なぜ大学関係者がこの問題を無視するかというその背景を考えて見ると,学生運動をすべて特定の党派やセクトと結びつけてしか考えられない傾向というのがあるのではないかと思われる.しかし不正や抑圧の問題よりも,運動を「どのセクトがやっているのか」ということの方が重要なのだろうか.(しかもその「判定」はほぼ非公式な情報に基づくもので,公に議論されることさえほとんどない.)もし私のこの推測が正しければ,そのような態度は人権の普遍性という社会の根本原則と相容れないであろう.独法化問題では,しばしば教職員の活動家の間で「学生が無関心」だと言われたものだが,寮問題などに関する限り教職員が「学生に無関心」だったと言えるのではないだろうか.

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4.白井の個別的補足意見

全国ネットワーク、解散に際して       白井浩子

 ネットワークに参加頂きました皆さまへ:

 この度の、ネットワーク解散に際して、ご挨拶を、会員になったいただくことのでき た皆様に送ることになりました。この手紙は、その解散挨拶に添えて、白井の個人意 見を添えさせていただくものです。

 当初、第七節*(後述、参照)を本文に入れるかどうかが世話人会で、問題になりま した。結論として、本文には入れないことにしました。世話人会の総意とはならなか ったことが確認できたということです。(*注: 同封の個人意見である豊島意見 が、当初、第七節として、本文に挿入されることが提案されていたのですが、複数の 反対があり、本文から削ることになった経緯があるのです。)

 そのときの世話人会でのやり取りを、下記にご紹介しつつ、会からの解散の挨拶に添 えて、こうして私自身の手紙として、添えさせていただくことにしました。

 私たちのネットワークとしての活動が、大学改革に関して様々に展開した運動の一つ であったことを確認し、この経験が今後の糧になることを、願っております。今まで の活動に賛同いただきまして、ありがとうございました。ともに運動を進める連帯の 気持ちは、変わらずに持ちつづけております。お元気なご活躍をお祈りいたします。

 ーーー世話人会でのやり取りーーー

世話人会の皆様: 私は、第七節関係*で、かつてその内容に反対の意見を申しあげ ましたので、度重なる申し出はしないでおりました。私以外の方の中にも、第七節に 関しては賛成できかねる意見があることを知り、心強く感じております。

 私は、分野柄(進化とか、地球史など)、日本の歴史上、レッドパージを受けた方々 と関係が深いのです。その当時の日本の大学が体験した事実は、大学の歴史上、消してはならない経験であ ると捉えております。先に、岡山大学創立50周年記念の冊子が出来た折も、とりあえ ず岡山大学・名誉教授の方々に、レッドパージに関するアンケートを取らせていただ き、それを冊子に入れることが出来ました。

 そんなことから、全国の大学において、当時、レッドパージや、また、イールズ講演 に対して、大学でどのような闘いがあったか、を現在も調査を継続中です。イールズ 講演に対する批判は、東北大学、北海道大学などで目覚しく、現在も当時において、 闘われた皆様がご活躍中です。その後、運動に参加する若い方々もおいでです。

 大学の自治や学問の自由に対して、ひいては文化の軽視という人間性への重大な抑圧 が与えられる現在の状況と、1950年代の同質性を捉えて、各地のレッドパージ関係者 に、私たちのネットワークへの参加をお誘いしました。私が参加をお誘いしたそれら の方々、とくに東北大学の関係者から、「大学問題についてのこのネットワークの活 動は、当を得ているものでしょうね?」という問い合わせを、度々頂いております。

 なお、長野案(誰もが問題であると認める課題を、ネットワークも取り上げるべきで ある、という意見)に対しての豊島さんの考え(それらは他の活動でも取り上げられ るから、取り上げなくても良いとする)には同意しかねます。他の運動と違う面だけ を強調する、ということの意味は何なのでしょうか。文学作品ではないのですから、 同じ問題を誰もが取り上げることになるのは当然であると思うのです。多くの人々が 運動に参加することこそ大事なことではないでしょうか。しかし、時間も許されませ んし、もう、深入りしないでおきます。

ーーー世話人会でのやり取り:終わりーーー